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朽木 綱貞(くつき つなさだ、明治8年(1875年)12月2日 - 昭和4年(1929年)9月6日)は、明治から大正時代の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。貴族院議員、子爵、工学博士。福知山藩13代(最後)の藩主朽木為綱の子。室は徳川篤守の娘芳子。陸軍の火薬研究の権威であった。 ==経歴== 明治16年(1883年)に父の為綱が没したため家督を継ぎ、明治17年(1884年)7月8日、子爵に叙爵する。慶應義塾幼稚舎を経て、明治29年(1896年)5月27日、陸軍士官学校(7期)を卒業。明治30年(1897年)1月、砲兵少尉任官。陸軍砲工学校高等科で学び、さらに陸軍派遣学生として東京帝国大学工科大学応用化学科を明治37年(1904年)6月に卒業。 東京湾要塞砲兵連隊中隊長、陸軍兵器本廠検査官、砲工学校教官などを務める。大正3年(1914年)8月、火薬研究所長に就任。大正5年(1916年)11月、砲兵大佐に昇進。陸軍科学研究所第二課長、陸軍造兵廠火工廠長などを歴任。大正10年(1921年)3月、陸軍少将となり、大正13年(1924年)2月、予備役に編入された。その他、東京帝国大学工学部講師、陸軍技術会議員などを務めた。 昭和3年(1928年)10月、貴族院子爵議員に選出され研究会に属した。昭和4年(1929年)、55歳で没す。 家督は養子の朽木綱博(旧鳥取藩主家で侯爵池田仲博の子)が相続。実子の娘・美知子は、綱博の実兄で池田家の後継当主であった池田徳真に嫁いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「朽木綱貞 (陸軍軍人)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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